【世界遺産】現地在住者がダラム大聖堂を解説

ダラム大聖堂の概要

ダラム大聖堂は1093年に建築され、今もイングランド国教会の大聖堂として、キリスト教信仰の中心地としての地位を保っています。この大聖堂は、ノルマン様式の教会としてはヨーロッパで最も精巧な建築物の一つとされており、Green Palace(芝生)を挟んですぐ隣に立つダラム城と共に、1986年にユネスコの世界文化遺産に登録されています。

ダラム大聖堂へのアクセス

ロンドンからダラム駅までは電車で2時間半程度です。縦断鉄道がダラム駅も通るため、エディンバラ観光の合間に途中下車して半日ダラム観光に充てることも可能です。ダラムのハイライトであるダラム大聖堂とダラム城(いずれも世界遺産)は、半日あれば十分見られるでしょう。

ダラム駅から大聖堂まではバス(5分程度)または徒歩(18分程度)で向かいます。駅前から遠くに見えるのが大聖堂。徒歩で行くとブロック造りの綺麗な高架橋を横手に見られます。

ダラム駅前のバスはDurham Cathedral行きに乗りますが、間隔は20分に1本です。ダラム大聖堂までは比較的坂道も多いので、歩きたくない方はバスですね。

ダラム大聖堂の立地

大聖堂とダラム城は、ウェア川を見下ろす崖の上に建てられており、パレス・グリーンと呼ばれる緑地を挟んで向かい合っています。

大聖堂を含むダラムの中心街をウェア川が囲むように緩やかに流れているので、川沿いを散歩・ランニングしながらどこからでも大聖堂の雄姿を眺めることができます。また、流れが緩やかなウェア川の影響も多分にありダラムではボートを競技又は娯楽として楽しむ人も沢山いて、特に夏は賑わっています。

手動のボートのみならず、アルコールを提供してくれるBar付属ボートでBBQ(ハンバーガー)を楽しみながら川下りといった楽しみ方もあります笑

 

ダラム大聖堂の建築 ノルマン様式

1093年に建設されたノルマン様式の大聖堂で、12世紀後半に盛んになったゴシック建築の先駆けといわれています。ですので、ゴシック建築ではありませんね。ノルマン様式とは、ノルマン人(≒ヴァイキング・北欧ゲルマン人)によって11世紀末にノルマンディー地方(フランス北西部)で始まったもので、イングランド全体に広まっていたロマネスク美術(≒ローマ風のキリスト教美術)の様式のひとつです。 主な特徴としては、半円状のアーチとその重さを支えるための分厚い壁をはじめとした重厚感あふれる教会堂建築を中心とする建築様式です。ノルマン様式の代表例としては、ダラム大聖堂の他、フランス・ベズレーの聖マドレーヌ修道院教会やドイツのシュパイヤー大聖堂などが有名です。

(フランス)聖マドレーヌ修道院教会 ↓

(ドイツ)シュパイヤー大聖堂 ↓

なお、11世紀から12世紀頃にかけてノルマン様式が広められた後、13世紀以降のヨーロッパではゴシック建築が盛んになります。ゴシック建築の流行は、アーチと高さのある壁の重みを外壁ではなく内部の柱で支える技術が発展することにより可能となりました。ノルマン様式のような分厚い重厚感のある外壁は不要となり、壁にステンドガラスを配置して聖堂内部に採光することができるようになります。すると、各地の教会が建築技術を競うように尖頭アーチと高さを強調するになります。因みにダラムから車で1時間半くらいで行けるヨークには、英国最大級のゴシック建築のヨークミンスターがありますが、大きなステンドガラスが特徴的で内部も明るいです。↓

逆に、ダラム大聖堂のように11世紀頃に建築されたノルマン様式の大聖堂は外光を余り取り入れていないため、内部は薄暗い印象になります。

ダラム大聖堂の主教

ダラム大聖堂の主教は代々、聖職者であると同時に領地(主教管区)を所有していた権力者(領主主教)で、その地では聖俗両界において一大勢力を誇りました。ロンドンなどの都市では聖職者が次第に俗界での権力を失う中、ダラムでは19世紀半ばまでその権勢を誇りました。現在でもイングランド国教会(Church of England)での地位は高く、聖職者としては第4位の地位にあります。

イングランド国教会は、16世紀(1534年)のイングラド王国で成立したキリスト教の名称です。もともとカトリック教会の一部であったものの16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れ、独立した教会となったものです。プロテスタントに分類されることもありますが、典礼的にはカトリック教会との共通点が多いです。

因みに、イングランド国教会の高位聖職者は、以下の順位です。いずれの主教座も歴史的建造物として名高いので一度は訪れてみたいですよね!

第1位:カンタベリー大主教(主教座はカンタベリー大聖堂)

第2位:ヨーク大主教(主教座はヨーク大聖堂)

第3位:ロンドン主教(主教座はセント・ポール大聖堂)

第4位:ダラム主教(主教座はダラム大聖堂

第5位:ウィンチェスター主教(主教座はウィンチェスター大聖堂)

 
 
 
 
 
 
ダラム大聖堂の歴史
ダラム大聖堂の聖遺物

中世における各地の教会は、イエスやその他の聖人の聖遺物を保管することにより、キリスト教の巡礼者が賑わい、巡礼者の数の増加に伴って市場ができ教会の周辺が栄えるという構造を有していました。したがって、信憑性のある聖遺物を有しているかどうかはその教会のみならず、その周辺の町の盛衰にも直結する重要な物でした。

ダラム大聖堂には、数々の奇跡を起こしたと後世に伝えられている聖カスバート(7世紀)の聖遺物や、「イングランド教会史」を著した聖ベーダの遺体が保存されていますが、この聖カスバート(Saint Cuthbert)の伝説がダラム大聖堂の創建に決定的な役割を果たすことになります。

リンディスファーンの宗教共同体、Holy Island、聖カスバート

ダラムの主教座の起源は、西暦635年頃ノーサンブリア王オズワルド(King Oswald)の命を受けて聖エイダンが創設したリンディスファーン司教座領にあります。リンディスファーン宗教共同体は多くの聖人を輩出しましたが、その中に聖カスバートが含まれています。

635年、スコットランドのアイオーナ・アビーから来た聖エイダンにより、Holy Islandにリンディスファーン修道院が創設され、北部イングランドにおけるキリスト教布教の中心として栄えます。7世紀末に修道院長となった聖カスバートの時代以降巡礼地として栄えました。聖カスバートの遺体は10年以上経っても朽ち果てず、奇跡をもたらすと信じられました。793年からHoly Islandはヴァイキングの度重なる襲撃を受けて荒廃し、875年、リンディスファーンの修道士たちは島から逃れ、聖カスバートの聖遺品(聖骸)とともに北部イングランドを転々とします。その後、882年にチェスター・ル・ストリートに宗教共同体が設立された後、995年まではこの地にありましたが、更なるヴァイキングの襲来により修道士たちは聖遺品と共に再び安住の地を求めて逃れなければならなくなります。最終的に、修道士の一行がダラムの町にやってくると不思議なことに聖カスバートの聖骸が入った棺が動かなくなったため、聖者の意思を感じ取ったリンディスファーンの修道士達は、995年に町を見下ろす高台の上に白い小さな教会を建て、聖カスバートを祀りました。これが現在のダラム大聖堂の創建に繋がります。

ダラムのCity Centreにはリンディスファーンの修道士が聖カスバートの棺を担いで放浪している彫刻が置かれています。

現在、聖カスバートの墓は大聖堂の最奥部の礼拝堂にあり、Cuthberthusと名が刻まれています(大聖堂の内部は写真撮影が禁止されています)。最奥部の礼拝堂は、廊下から一段高い場所に配置され、他の礼拝施設からも隔離されており、St Cuthbertへ敬意を払って入室するように注意書きまでされています。

因みに、リンディスファーン島は現在も聖なる島(Holy Island)と呼ばれ、ノルマン王朝時代(11世紀~12世紀半ば)に再建されたベネディクト会修道院、チューダー王朝時代(16世紀)に建築された城塞とともに英国のナショナル・トラストによって保護されて観光地となっています。島は1日に2度満潮によって陸地から孤立しますが、現在は土手道によって陸地と繋がっています(著名な観光地ではないはずですが、地球の歩き方イギリス版2018でもわざわざ2頁を割いて紹介されています)。

ダラム大聖堂の建設とその後

1093年、ダラム大聖堂は、ダラムの初代領主司教であったウィリアム・オブ・セント・カリレフの下で建立が始まります。1134年にウィリアムは亡くなりますが、計画は後継者であるラヌルフ・フランバードに引き継がれて間もなく完成します。

その後、プリンス・ビショップと呼ばれる代々のダラム司教(イングランド国教会になってからはダラム主教)がダラム大聖堂を主教座としてきました。ダラムの町は、王侯貴族ではなくプリンス・ビショップ(司教)が治める自治領として栄えてきました。司教が地域の支配権をもつことは英国史の中でも極めて珍しいにもかかわらず、プリンス・ビショップによるダラムの統治は宗教改革の時代も生き抜き、19世紀まで続きました。

現在は、ダラム大聖堂はダラム大学の所有物になっています。ですので、ダラム大学の入学式(Matriculation)や卒業式もダラム大聖堂の中で行われますし、Formal Dinnerもダラム大聖堂の中で催されたりしています。

ダラム大聖堂の観光

何といってもダラム大聖堂の魅力は入場無料ということ(£3の寄付を推奨されています)。ロンドンのセント・ポール大聖堂だと入場に£17かかりますし、比較的近場のヨーク大聖堂でも入場するのに£10徴収されます。しかも、時間さえ合わせて行けば、聖歌隊の音楽も聞けるし、週末には(おそらく学生の)管弦楽団が演奏しているのを無料で鑑賞することもできます。近所に住む人は、小さい子供を連れて鑑賞していたりして、生演奏クラシックを無料で開放しているんです!日本では、子供に生演奏クラシックを体験させる機会が限られているので、これは有難い文化です。

ダラム大聖堂の公式HPはこちら

ダラム大聖堂には中央塔とその左右に塔があり、いずれの塔も階段を上ることができます。中央塔の325段ある階段を上ると、高さ66メートルの塔の最上階にたどり着き、そこからはダラムの街と周辺地域の眺望を楽しむことができます。

なお、2016年から中央塔の階段は一時的に補修工事の為立ち入り禁止になっていますが、2019年3月頃に補修工事は終了し、一般公開が再開されるようです。

また、映画「ハリー・ポッター」シリーズの中では、随所にホグワーツ魔法魔術学校の一部として登場します。特に、大聖堂から出た中庭とそれを囲っている廊下は、第1話の最後にハリーが雪の降りしきる中でフクロウを放つシーン、生徒が廊下で話しているシーンなど数多くの場面で撮影に使われています。ここ↓

ダラム大聖堂に纏わるトリビア

1650年のダンバーの戦いにおいて、チャールズ2世率いるスコットランド軍に勝利したオリバー・クロムウェルは、3000人の捕虜をダラム大聖堂に連れてきたそうです。食事や水も与えられず、寒さと飢えでその多くが亡くなりましたが、その行方がわかっていませんでした。しかし、2013年、ダラム大聖堂とダラム城の間のPalace Greenの横に博物館が建築されていますが、そこの建築工事の際に、地下から大量の人骨が発見され、調査の結果、それらが捕虜たちのものであると結論付けられました。

2018年現在、ダラム大聖堂の横にある図書館にて、1650年のダンバーの戦いとスコットランド軍の捕虜の運命について焦点を当てた本格的な展示がなされています。

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ABOUTこの記事をかいた人

英国在住、日本での仕事を中断して現在大学院で勉強中。2歳児の親。 大学では国際色豊かなサッカーチームにて日々奮闘中(学内リーグなのでエンターテイメントです)。プレミアリーグ観戦に憧れ、武藤嘉紀選手のニューカッスル移籍を機にニューカッスルファンになりました。 地球の歩き方「イギリス編」でもイギリス北部の情報は少ないので、特に北部の情報発信を心掛けています。